私たち研究会の堀辺代表と李徳全さんのお孫さんの羅特別顧問とは
30年以上の交流があります。
ホームページの「ABOUT」のところで簡単にこの組織の経緯を書かせて頂きましたが
今から数年前にさかのぼり尖閣諸島問題がクローズアップされ
日中関係が非常に難しい頃
李徳全さんの心を受け継いだお孫さんの羅さんは
1954年前の日中友好ブームのいくつもの新聞記事を
日中関係改善の助けにならないかと
いろんな日本の方達に見せてまわるものの
ほとんどリアクションはありませんでした。
しかし、ただ一人、涙を流して感動し「中国に愛をありがとう」と
堀辺代表が感謝を表したのでした。
この感動の涙から奇跡的な2014年APEC時の日中首脳会談の実現に至るのです。
日本側代表は李徳全さんの命日4月23日に「中国から受けた愛」と題して
人々の前で講演会を開催しました。
そして、そのことがきっかけとなり中国に詳しい作家の石川好さんが歴史を調べ直し
2014年10月16日の読売新聞の全国紙の「論点」で書かれることになりました。
更に、その後衆議院議員の外務委員会で岸田外務大臣と伊藤忠彦議員とのあいだで
李徳全さんがBC級戦犯1,000人を含む32,000人の日本人引き揚げの実現をしたことを
政府が公式にとりあげ、戦後、国交がなかった中華人民共和国に対して63年ぶりに
謝辞を表明する感動の一幕となりました。
※そのやりとりはこちら(伊藤忠彦議員の名前をクリックしてご覧下さい。2014年11月5日)
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44295&media_type=
さて、改めて戦犯の等級のつけられた背景についてふりかえってみたいと思います。
A級とは「平和に対する罪」
B級とは「通常の戦争法規違反」
C級とは「人道に対する罪」と定義されたのです。
李徳全さんは戦争の現場に立つことになった一般の人々を普通の国民として
日本へ返したいと考え、中国国内からも厳しい声があることをわかりながら
また、反中感情が高く身の危険が及ぶ可能性が心配される中で
1954年10月30日に訪日が実現したのです。
私たちが李徳全さんから受け継いだものは
自らの利益や名誉を優先しないで
国民全体の一人一人のことを思って行動されるその勇気と愛です。
「戦争で被害を受けた一般の人たちを普通の生活に戻してあげたい」
そのようなことをわずか短い近代の戦争期間中におきたすれ違いで
子や孫達の世代に争いのひずみを残してはならないと考え
戦犯を無償で無裁判で帰国させたことを
「日本と中国の2000年間の文化交流」があるのだから当然と一言
言葉を放ったのでした。
李徳全さんの心は中国だけのものではなく、日本はもちろん
世界が受け継いでいけることだと受け止め
日中の友好関係から世界にその輪が少しずつ広がっていくといいです。
今年は更に日中関係前進の年となることを切望しています。
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